その選択は正しかったのか?
その結果に満足しているのか?
答えは今でも出てこない。
ただわかっていることはひとつ。
自分は、敗北者としてここを離れるということ。
良き敗北者
冬春
1/
「以上をもって、現執行部の弾劾決議は可決されました」
動揺の声が講堂内に響く。
生徒はもとより、教師達も驚きの顔を隠せない。
何がおこったのか頭で理解はしても感情がついてゆかない。
しかも「学生の自主性」という建前上、教師達になにもできるはずがない。
教師陣に受けが良く、これまで大過なく事務をこなしていたただひとつの失態。
「佐祐理を悲しませたら、絶対に許さないから!」
割れたガラス。
吹き飛んだボタン。
手刀を振るった彼女から吹き出る血。
目の前で行われた光景が信じられない。
こんなことは起こるはずがない。
固まった自分や他の執行部メンバー。
遠くから囁きあっている無関係の生徒達。
衆人環視の中、堂々と脅迫されて何もできなかった。
この瞬間、自分と自分が率いる執行部が見捨てられた瞬間だった。
川澄舞と倉田佐祐理の事件がクローズアップされ、その対処の失態はそのまま反執行部運動に直結した。
足掻けば、教師陣の受けはまだよかったし親の権力にものを言わせてもよかった。
倉田佐祐理も川澄舞ももうすぐ卒業する人物だし、反執行部運動のメンバーすら本当に成功するとは信じていなかった。
だが、自分はその瓦解を直すことをしなかった。
自分には分かってしまったから。
倉田佐祐理は川澄舞を選んだということが。
2/
「退学ぅ!」
辺りに大声を響かせてしまった俺は教室中の視線を一心に浴びてしまう。
集まっていた四人――おれこと相沢祐一と、いとこの水瀬名雪に、友人の北川潤に美坂香里。通称美坂チーム――は昼食時の食堂で食事をしながら雑談をしていた。
もっとも、食堂内の話題も祐一達と一緒だったというのは閉鎖空間たる学校の話題だからだろう。
「そう。生徒会長の――今は元か――久瀬が退学届を提出して欠席中だそうだ。
まぁ、弾劾決議が可決されて出にくいというのはあるのだろうけどな」
北川の話に香里が補足をする。『学校一の事情通』と『学内一位の才媛』のコンビの異名は伊達でないから本当だろう。
「教師達は退学届を受理しないって言っていたわね。
もっとも、久瀬の家の方では『勘当したから知らない』といって家に来た教師達を追い払ったそうよ」
「祐一…どうなるのかなぁ…」
俺は名雪がふってくれた質問にすら答えることができなかった。
多分、顔は真っ青になっているだろう。
俺は生徒会弾劾運動にはまったく関わっていない。
たしかに当事者に限りなく近い立場にいたが、それは舞や佐祐理さんを守るためであり、校門以後久瀬と生徒会に関わることはなかった。
反執行部運動にも誘われたが断った。
何よりも校舎で舞と戦っていたし、佐祐理さんの怪我とかでそんな事に関わっている余裕がなかったからだ。
だが、久瀬が失脚した原因は間違いなく舞の事。
その件について祐一は当事者の一人だったのだから。
自分の行った行動の結果が、ここまで大きくなるとは思っていなかった。
自分は無関係だと心に言い聞かせたかったが、祐一の罪悪感は広がるばかり。
「祐一。どうしたの?」
心配して名雪が声をかける。
「ああ。大丈夫だ。なんでもない…」
ふと周りがざわめく。
その方向に視線を向ける。
リボンは大学受験で自主登校になっている三年。
今、話題になっている話の当事者の一人にして、祐一にとって守らないといけない人物の一人。
意を決して名雪たちの方を振り向く。
「悪い。俺このあと早退するわ」
佐祐理さんと話をする場所はやっぱり屋上の階段になる。
人にあまり聞かせたくない話だし、この場所にはほんの一ヶ月程度だけど忘れなれない思い出もある。
だが、今の話題はそんな思い出ではない。
「私のせいです…」
申し訳なさそうに佐祐理はつぶやくが表情はそれほど落ち込んだように見えない。
別に冷酷な訳でもなく感情を忘れてしまったという事を俺が知ったのはつい最近の事。
「佐祐理さんは悪くない。
悪いのは勝手にやめた久瀬の…」
「違います!!」
突然の佐祐理さんの声に俺はその先をいえなかった。
「佐祐理のせいで久瀬さんを傷つけたんです!
あの時、舞を止めていればこんなことにはならなかったはずなんです!」
「だけど!」
俺も思わず大声で反論する。
「あの時の舞の行動は止めるべきではなかったと今でも思っている。
久瀬のあの行動は許せるものではなかったんだ!」
「その結果が、これですよ」
ぽつりと呟いた佐祐理さんの本音。
「佐祐理は、愚かな行為で大事な人を失ってしまいました。
それ以来、誰も傷つけないようにして来たんです。
嫌なんです。人を傷つけるのが。
佐祐理はいくら傷ついても構いません。
けど、佐祐理のせいで人を傷つけたくないんです!」
いつもなら絶対に聞けない佐祐理さんの本音。
どんな慰めの言葉も聞かないということは俺でもわかった。
だから、話を先に振る。
「で、どうするんです?」
舞を守り通した時のようにはっきりと佐祐理さんはいった。
「久瀬さんを説得します」
3/
冬の駅のホームは寒い。
だがら、ストーブのついている待合室で待って列車が入る時間にホームに下りてゆけばいい。
手にもっているのは列車の切符と飛行機のチケット。
「留学…か」
まぁ、こんな大失態をやらかした以上、ほとぼりを冷ますにはちょうどいいだろう。
望んだのは自分だし、対面を気にした両親もその意見は意に添ったものだったと信じている。
もう、あの学校では「いい子」ではいれなかったのだから。
また別の場所で「いい子」を演じればいい。ただ、それだけのこと。
準備もそれほどかからなかった。
必要なものは向こうで買えばいいし、それほど持ってこないといけないものもない。
替えの服と下着ぐらいなもので、小さなトランク一つに納まった。
まだ、列車の時間には一時間ぐらいある。
売店で買った文庫本を読もうかと思ったら自分に近づいてくる人影が二つ。
そういえば、こんな光景があったような気がする。何処だっただろう…
既視感。
「お久しぶりです。久瀬さん」
彼女の言葉。変わらない笑顔。
そう。あれは職員室だったか…それとも生徒会長室だったか…ある意味、ここへくる始まり。
確かあの言葉は…
「久しぶりは違和感があるね。あなたのうわさはいろいろ聞いているから」
「そうですか。あまりいいうわさではないでしょう?」
「そうだね。良くはないね」
冗談とも皮肉ともつかない応酬。
ただ違うのは立場が逆なことぐらいだろうか。
ここで、倉田さんについてきた男がはじめて口を開く。
「あの時は殴れなかったが」
吹き飛ぶ。
深くえぐりこまれた右ストレート。
椅子と一緒に倒れこむ音が響き、列車を待っていた客にざわめきが走る。
「やめてください祐一さん!
すいません…すいません…」
倉田さんの声のせいだろう。相沢も次の手を出してこない。
口を切ったのだろう。血の味がする。
ハンカチが顔に差し出される。
彼女のハンカチ。
「なぜ逃げ出す!……っ」
そこまで言って彼は気づいたらしい。
ハンカチで血をぬぐいながらできるだけ冷酷に答える。
「何故って、君達のせいさ」
赤くなる相沢だが次の一撃はこなかったのが自分の言葉が正しかった事を物語っている。
「逃げ出して何が悪い!
しかも、逃げ出す理由を作ってくれた当人が今度は逃げ出すなと言ってくるとは…
ふざけるな!
自分が行った行為の結末ぐらいちゃんと見届けろ!」
相沢に向かって吐く言葉はそのまま自分を切り裂く。
笑いたくなる。いや、多分相沢に向かって笑っている。
自己矛盾も甚だしい。
私は、自分が逃げ出すことで結末から逃げようとしているのだから。
視線が彼女に向かう。
彼女はこの茶番をどう感じているのだろう?
「倉田さん。あなたと二人きりで話がしたい」
その言葉を彼女が拒否するはすがなかった。
4/
ホームにはもう列車が入っていた。
相沢は階段付近で自分達をじっと見つめている。
ホームの端は雨よけもなく、ちらちらと雪が舞い降りてくる。
「大丈夫ですか?」
彼女の声。優しそうでけっして心がこもっていなかった声。
「いや、大丈夫です。
ところで、どうしてここが?」
「失礼ですがご両親にお聞きしました」
やっぱりと思った。彼女ならできるだろう。
両親は自分の失脚という結果は知っていても、その過程に彼女がどれだけ関わっていたかを知らない。
知っていたら恨み言をいっただろうか?
それとも彼女の父の威光の前に影口をたたくだけだろうか?
「考え直してくれませんか?」
彼女が口を開く。
その感情のない声で。
「だめです。
あの事件は結局、川澄さんか私が学校を去らないといけなかった。
それはおわかりでしょう」
同じく感情のない声で返す。
心がこもっていないから会話のイントネーションそのものは優しい。
心を傷つけない会話。
心を失って「いい子」を演じる自分達。
ふと視線を相沢に向ける。
苦々しそうに、何もできない自分にいらだっている彼はなんて幸せなのだろう。
感情を表にできる。相手を傷つけ、自分も傷つき互いに癒しあう関係。信頼。
その言葉を私は想像もできない。
「こんな会話が当たり前だったのですよ。私達は」
優しくて心がこもっていない言葉で語りかける。
いずれ社会に出ると私も彼女も人とは違う場所に立つ事が約束されていた。
人の上に立つ場所。
人を信じることができない場所。
学校はその訓練の場所。そのはずだった。
「佐祐理は嫌でした」
彼女のイントネーションは変わる。
冷たく、真摯で、自分も相手も傷つける声に。
「いい子でいる事が嫌でした。
犯した過ちを償えないのに、周りからいい子に見られるのが嫌でした」
彼女の顔は変わらない。変わることを知らない。
「だけど、おかしいんですよ。
いい子でいるのが嫌なのに、人が傷つくのはもっと嫌なんです」
彼女は嘲っている。彼女自身を。
それなのに顔が変われない。
「佐祐理のエゴです。
佐祐理の大事にしたい人の為に久瀬さんを説得しているに過ぎません」
私も変われない。怒りたいのに、泣きたいのに心が凍りついたまま。
「つまり、川澄さんのためですか」
優しい言葉に首を縦に振る彼女。
負けたと思った。
川澄舞にも負けた。相沢祐一にも負けた。
なによりも倉田佐祐理に負けた。
私には彼女の様に守りたい人も、慕われる人もいない。
妙にすがすがしく思った。
彼女を見据えて伝える。
「私は、私なりの責任を果たしたまでです。
貴方が気にする必要はない」
実際、反執行部運動に相沢も彼女は関わっているわけでもない。
その運動を利用して失脚を演出したのは他ならぬ自分なのだから。
「倉田さん。私は貴方がうらやましい」
自分の奥底にしまっていた思い。
「え?」
意外な言葉に戸惑う彼女。
その視線を相沢に向ける。
「貴方は側に貴方を心配してくれる人がいる」
「…」
ホームのアナウンスが流れる。
発車が近づいている。
「貴方も…」
震える声で彼女が呟く。
「貴方もこの街で見つければいいじゃないですか」
おそらく、変わりつつある彼女を象徴する言葉。
その言葉にゆっくりと首を横に振った。
「おねがいです。
せめて良き敗北者として貴方の前から去らせてください」
(貴方が側にいてくれたら…)
その言葉を飲み込む。
ゆっくりと列車に向かって歩き出す。
もう彼女のほうを見ない。
彼女も私に声をかけられない。
発車のベルが鳴る。
ドアがゆっくりと閉まる。
それが、変われなかった私と、
変わろうとしている彼女の別れとなった。
列車の中、血で汚れたハンカチを見つめる。
気づいたことがある。
自分の初恋だったのだろう。彼女のことが。
「いい子」で「良き敗北者」を演じた自分の頬に流れる涙。
雪景色の街は遠くに去ってゆく。
やがてトンネルに入り窓の景色が黒一色に染まる。
涙をふき取る。
その選択は正しかったのか?
正しかったと信じたい。
その結果に満足しているのか?
満足しているとも。
あの倉田佐祐理相手に負けたのだ。
後悔はしない。今は。
だから、前を向いて歩こう。
次に会うときに負けないように自分を磨いて。
せめて新しい一歩は敗北者ではなく挑戦者として。
そして、暗闇から新しい世界が姿を表した。
さて、これからなにをしよう…?
あとがきみたいなもの
こんなつたない小説を読んでいただいてありがとうございます。
「良き敗北者」はハデスさんの「終わらない追想曲」に感動した私が、ハデスさんへお礼の意味で捧げたものですが、やっぱり書いてみてハデスさんの久瀬がいかにかっこいいか思い知らされました。(笑)
話としては舞エンド後の久瀬の話です。の割に舞はまったく出てきませんが。(笑)
「終わらない追想曲」を読んだ後で、一ノ瀬ひなさんが久瀬の近くにいなかったら…と考えたのがこの話の始まりです。
ハデスさんの所で私の小説を載せていただいた事に感謝を。
これからの活躍に期待しています。